1192年いい国つくろう鎌倉幕府(源頼朝)

いよいよ時代は鎌倉時代に入っていきます。鎌倉時代は、源頼朝が1192年に征夷大将軍となって鎌倉幕府を開いたことで始まります。源頼朝が権力を握ったのは、源平合戦の壇ノ浦の戦いで平氏を打ち破ったからです。

 

ただ、実際の源平合戦の功労者であるのは弟の源義経でした。しかし、源平合戦後に源頼朝と源義経は対立関係になってしまいます。源義経は奥州藤原氏によりかくまわれるのですが、これに対して、源頼朝は源義経を捉えるために、全国に守護と地頭を任命する権限を得ることになります。

 

この守護と地頭の任命権により源頼朝は全国にまで支配権を及ぼすことが出来るようになりました。なお、源義経をかくまったとされる奥州藤原氏も1189年に滅ぼしています。

 

このような中で源頼朝は1192年に征夷大将軍になることで、鎌倉幕府を開くことになったのです。もともと源氏は関東にゆかりがあったのと、鎌倉の地形が山と海に囲まれていて攻め込まれにくいということも鎌倉に幕府を開くきっかけになったともされています。

 

鎌倉幕府の役職の役割や全体の構造を理解しよう

鎌倉幕府は武士による幕府ですので、一番のトップに立っているのは将軍ということになります。そして、将軍を支える重要な職務を担っていたのが執権ということになります。この将軍と政所を筆頭として、鎌倉幕府には大きく、中央の役職と地方の役職とが設置されています。

 

【中央の役職】

侍所

源頼朝は全国に御家人と呼ばれる家来を次々と任命しています。その全国にいる御家人を取りまとめる役割を担っていたのが侍所です。

 

政所

幕府の行政や財政をつかさどっていました。

 

問注所

訴訟や裁判などをつかさどっていました。

 

【地方の役職】

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京都には朝廷がありましたので、京の警備をおこなったり、朝廷を監視するなどの役割を担っていました。

 

鎮西奉行

九州の御家人を管理したり統率するといった役割を果たしていました。

 

奥州総奉行

奥州(東北地方)の御家人を管理したり統率するといった役割を果たしていました。

 

守護

各国ごとの治安の維持や警護に当たるほか、御家人の統率といった役割も果たしていました。

 

地頭

荘園や公領といった土地を中心に管理をおこなっていました。年貢の徴収をしっかりとおこなうという役割も果たしていました。

 

もともと源頼朝は全国に御家人を従えることで急激に支配を広げていきましたので、守護や地頭をしっかりと置くということが鎌倉幕府の大きな特徴とも言えるでしょう。それに加えて、朝廷とは地理的に離れた場所に幕府を置くことになったわけですから、京をしっかりと監視しておくということがうかがえます。

 

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